まいにち

私は体を動かそうとすると苦痛を感じる。
学生の頃は気づかなかったけど、大人になり、自分の身のまわりのことを自分でするようになってから気になりだした。横になること以外の行動(身支度、家事、入浴、外出)全てが億劫で、生きるって苦しいなあと常日頃思うことが増えた。最近は遅刻ギリギリになってしまったり、あとから後悔して落ち込むこともあって、体と心の辛さから、自分の死が近いのではないかと悟りはじめた。限界を感じて『体 動かない 家事 身支度』と検索ワードに入れてスマホで検索してみる。ひっかかるものは、精神病や発達障害のことばかりで、欲しい答えは見つからない。ネットに頼っても救われることもなく、心も体も重たくなるばかりで、ソファーに寝転びながら外が暗くなっていくのを見守るしかなかった。ふと、無駄が足りないから毎日苦しいのだと気づいた。私にとっての無駄は、不必要な行動。生産性のないことである。すぐに思い付いたことは学生時代の趣味であった絵を描くこと。当時はアニメが好きでキャラクターを描くことに夢中になった。友達も自然とアニメや絵を趣味にする人が多く、世間話よりもアニメの感想やキャラクターの魅力を熱弁する日々だった。過去を振り替えると、あの頃は身の回りのことよりも画面の向こう側に夢中だった。当時の学生生活が苦しかったこともあり、気づかないうちに現実逃避していたのだと思う。今になって絵を描くと、無心で苦しさから解放される感覚はあるものの、こんなことをして何になるの?もっとやることがあるんじゃない?上手く描けるわけない。才能がない。と頭の中でもうひとりの自分の声が聞こえてくる。
私は大人になってから、自分のための無駄が許せなくなっていたのだ。現実逃避なんて意味がないとさえ心のどこかで思っていて、どこに行って何をしても苦しくて悲しい。無駄なこと。意味のない時間にも価値があることを肯定したい。
どうか私、仕事やお金にとらわれずに生きて、自分の好きを認めて、無駄に生きて。限りある命を苦しさのなかに沈めないで。